共通一次がセンター試験って名前に変わったのは、知ってたけど
未だに鹿児島県は鹿大だけでやってるっと思ってた(笑)
近所の知り合いの子が受験して、お母さんが送ってったと言ったので
「遠くまで大変だね。でも雪が降らなくて良かったね・・・」って返信したら
「この辺は、○○○大学であるんだよだから学校まで送ったら
スクールバスで連れてってくれるんだよ」と言われた。
そうか・・・
25年も経てば、いろんな事がかわってて当然・・・。
友達のブログで自分の受験の頃の事が書いてあって
そうだったなあ・・といろいろ思い出す。
うちの高校は半分のクラスは、2学期のうちに進路が決まってるクラスで
3学期の週一回の登校パターンになる頃には
自動車学校に通い始めたりする。
残りのクラスの生徒は
共通一次に向けて毎日登校し、その後は3月半ばの2次試験まで
日曜日以外ひっそりした3年生のクラスで
勉強させられた。
うちは、余裕がある訳ではなかったので
希望校に通らなければ就職ね・・・と言われていて
週に1回全員登校する日は、前途明るい進路決定組みの楽しそうな様子が
ものすごく、羨ましかった。
でも、一人だけ大変って訳でなく一緒に頑張ってる友達がクラスに何人もいたので
2次試験へ向けの勉強が、苦しいだけでもなかったけど。
共通一次の結果で、志望校が決まったので
不本意ながらランクを下げて、2次試験に臨まねばならない友人もいたし
2次試験での合格は難しいと言われて、殆ど推薦で決まってる私立短大の
定員10%位の枠を何倍かの競争率で、受験しなきゃならない友達もいた。
友達は眠たい、でも勉強しなきゃ・・・の葛藤の狭間で
目を開けたまま寝ていて、様子を見に来たお母さんが
ビックリして揺り起こしたらしく
頑張り屋さんだった彼女らしいなと思ったのだった。
その頃の私は、今と違って
早寝早起きの高校生だったので10時になると眠くなる。
それでも、心のどこかには勉強しなきゃ・・ってプレッシャーはあったらしく
いわゆる「金縛り」とよばれるような現象に何度もあった。
最初は怖くて怖くて、寝てしまうとまたかかるのではと思ったが
人間何でも慣れるもので、「あ・・・動けなくなりそう・・・
でも、コレって夢だから大丈夫」と後半は思えるようになった(爆)
4月以降まったく金縛りにあわなくなったので
私的な睡眠不足とストレスだったんだろうな・・・・と納得した。
その後、金縛りになったのが
6年前の父のクモ膜下出血の時。
往復2時間を毎日、4ヶ月続けた頃なので
分り易い、金縛りだ(爆)
小中学校と高校も2年生までは、ノンビリ過ごしていたので
厳しい受験戦争を戦ってきたとは言い難いけど
人生のなかで、一番頑張ったのはあの時だなと思う。
今はみんな小さい頃から、一生懸命塾に通って頑張ってるというのに
小・中学校ノンビリ、のほほんと過ごしちゃってるうちの息子ちゃんは
果たして行ける学校があるんだろうか・・・ってカナリ心配。
あと5年もあるけど、小学校の6年もあっという間だった気がするし
今で、勉強する習慣のない子が今からやる気もしないし・・・
頑張ってくれ~~~息子(祈)

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